タンザニアに行ってききた。

itomameya2008-11-02

 
日本に暮らしていたら、
決して想像もできない世界で、
決して想像できない生活を、人生を送っている人たちがいた。
 
子どもの頃、自分の周りの世界はわくわく、どきどきすることで満たされていた。
もちろん、悲しいことつらいこともたくさんあった。
それでも、いろんな夢を見て、いろんなことに挑戦する毎日がそこにはあった。
 
大人になって、さらに中年と呼ばれる世代になって、
あのわくわく、どきどきはどこへ行ってしまったんだろうと感じていた。
あの感受性、好奇心、挑戦心はどこへ行ってしまってのだろうと思っていて。
 
世界は当たり前のことで満たされてしまった。
前代未聞の出来事が起こってもそれは、決してわくわくすることなのではなく、
どちらかというと、ガッカリするような、そして絶望させられるような、
出来事ばかりだった。
 
僕らはそれを無力感をもって、評論家のように傍観するだけで、
自ら行動を起こすようなことはなかった。
 
でも、そんな“当たり前の世界”は、自分の世界観の狭さに由来するに過ぎないということに気づかされた。
 
世界は、僕らが想像するよりもずっと広い。
ずっと大きい。ずっと多様性に富んでいる。
そこには、まだまだワクワクするようなこと、ドキドキするようなこと、
ハラハラするようなこと、挑戦したいというエネルギーを沸き立たせてくれるとがたくさんある。
 
タンザニアで、世界中のいろんなところからやってきた、いろんな考えをもった人たちに会った。
いろんなことに挑戦している人たちに会った。
世界はこのままでしようがないのだ、これで当たり前なのだなんて、つまらない諦観を彼らは持っていなかった。
自分がなんとかすれば、世界はなんとかなると信じていた。
“世界“といっても、決して大げさなことを言っている訳ではない。
“なんとかなる“といっても、決して大きなことをしでかそうと思っている訳ではない。
自分がいま任されていることは、自分の考えでこうしたい、こうする、と信念を持って、
それを当たり前のようにやっていた。
 
世界は様々だ。多様性に富んでいる。そして広い。大きい。
“当たり前だ“、“仕方がない“なんていう諦観を持ち出すのは余りにも早計だ。あまりにも愚かだ。
ワクワクするようなこと、ドキドキするようなこと、挑戦すべきことはいくらでもある。
 
そういうエネルギーをもらった。