【批評】、【評論】

 
 

 
【批評】 ひひょう
 
・物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
 
 
【評論】 ひょうろん
 
・物事の価値・善悪・優劣などを批評し論じること。また、その文章。
 
 
高校生の時に初めて読んだ
「無常ということ」(小林秀雄)は、
今でも、僕にとって特別な文章です。
 
【評論】ということの、
凄さ、難しさ、素晴らしさの象徴が、
「無常ということ」という文章です。
 
一方で、
「評論家」といえば、
自らが手を下すことなく、
周りから無責任な意見や単なる感想を飛ばして、
そのことで自分の存在感を示し、
さも満足げな人たちを
皮肉って指すことがしばしばです。
 
 
両者の違いは大きい。
 
批評の対象の、
本当の価値を見抜けるか
というそもそもの力量の差が、
違うことは言うまでもない。
 
あるいは、
その事への当事者意識、
責任感の持ち方、
に差があるとも言える。
 
でも、
「そもそも評論家は、
自ら手を下す立場にはないのだから、
その事への責任感など持ちようがない」
とは言われるだろう。
 
小林秀雄も、
決して責任を求められることのない、
過去の人物や作品ばかり評論していただろう」
とも言われるだろう。
 
 
だとすれば、
評論家は、
批評の対象に対する、
自らの無力さをしっかりと自覚し、
自らが責任をとれる立場にないことを自覚し、
 
だからこそ、
真摯に、
唯一、自分の発する言葉には全責任を持ち、
自らを売り込もう等という邪念などいっさい振り払い、
批評の対象に対する洞察のみに、
心を砕くことが、
必要なのでしょう。
 
 
それができる人が、
本当の評論家なのでしょう、
と、僕は思う。