先日、ある人たちと話していて、
こんな話になった。
「誰しもが、それぞれの井の中の蛙で、
自分の井戸の中のスケールでこの世界をとらえている。
「誰しもが自分が住んでいる井戸の形を知らないし、
他人がどんな形の井戸の中に住んでいるのかもわからない
「お互いの壁に気づき、これを超えなければ、
本当のコミュニケーションはできないのか、
「壁は越えるものだろうか?
打ち破るものだろうか?
(この壁とは井戸の壁、
養老先生のいう”バカの壁”もこの壁のひとつ)
「あるいは、コミュニケーションとは、
お互いに言葉を交わしながら、
ああここに壁があるねと、
壁を見つけていくさぎょうなのかも知れない」
そんな話でした。